50th Anniversary Concert
17:00 開場 / 18:00 開演
出演者はこちら開く
〈出演者〉
あがた森魚
あがた森魚氏よりコメント
ふと気がつくと半世紀。
ここに今日同じステージに立つミュージシャン達も
同じような気持ちだと思う。
ディランに憧れて音楽を始めて
それを現実の人生として、
音楽を本当にやってきてしまったことは、奇跡のことのようにも思える。
そうやって、ここまでこれたのもベルウッド・レコードという
僕らの音楽の未来を開拓してくれた、
素晴らしいレーベルがあったからにちがいない。
あがた森魚
伊藤銀次
伊藤銀次氏よりコメント
ベルウッドは僕の故郷のようなレーベル
このレーベルができたばっかりの1972年に
ごまのはえというバンドの
シングル盤でデビューしたのが
僕のこの世界への入り口でした。
ぼくのすべてのキャリアは
ここから始まったのです。
めぐりめぐってその後
2000年代に入って
ココナツ・バンクの再結成アルバムや
僕自身のソロ・アルバムをリリースしてくれた
ベルウッド・レコード。
11月11日は
さまざまな想いと感謝をこめて
あの曲を歌いたいと思います。
そして同じく今年がデビュー50周年にあたる
僕の最初の
そしてそれを記念したライヴが
にぎにぎしく開かれる
伊藤銀次
いとうたかお
いとうたかお氏よりコメント
大好きな歌い手たちが在籍していたベルウッド・レコード。制作・宣伝・デザイン・経理の方達も含め、社内のアットホームな雰囲気を、今でもよく覚えている。
右も左も分からないボクを、高田渡さんは自分のアルバム「系図」(1972年)の録音に誘ってくれたのだが、その縁を作ってくれたのは加川良さん(アルバム「アウト・オブ・マインド」1974年)だった。
その流れの中でボクは、シングル盤「あしたはきっと」(1972年)、「いとうたかおファーストアルバム」(1974年)をリリースすることが出来た。
この50年の間に、多くの先輩諸氏が泉下の住人となられた。
当初は一番年少で、後ろから付いて歩いていたボクも古希を過ぎ、今回の記念コンサートに参加させていただけることになった。この機会、楽しませていただきたいと思います。
『ベルウッド・レコード50周年』おめでとうございます。
いとうたかお
大塚まさじ
大塚まさじ氏よりコメント
ザ・ディランⅡは、1971年のURCレコードからはじまり、74年にベルウッドに移籍し、その年に解散してしまったのです。
その間たかだか3年半と短かったのですが、5枚のアルバムを残すことができ、うち3枚がベルウッドでした。
ベルウッドにはURCからの移籍組が多く、三浦さんも中津川からなので、彼らとも深い付き合いがあったからでしょうね。
あれから50年、恭蔵さん、渡氏、良さん、そしてナミさんに山平さんと仲良くしてもらった人たちも、今や天国です。
まさかあの頃、50年後にこのようなことに参加できるなんて夢にも思いませんでした。
そして、今回皆さんと集え歌えることは、とても感慨深いことです。
こちらとあちらに、今の歌声を精一杯届けられれば幸いです。
みんなで50周年を祝い、楽しみましょう。
大塚まさじ
小室等
小室等氏よりコメント
1971年、作曲家の作品コンクールであった合歓ポピュラーフェスティバルにおいて、ヤマハからのオファーで前年に引き続き参加して、上條恒彦さんと六文銭が歌った「出発の歌~失われた時を求めて~」が、村井邦彦、平尾昌晃、川口真、中村八大、鈴木邦彦、宮川泰、すぎやまこういち、加瀬邦彦、都倉俊一、東海林修、服部克久ほかの錚錚たる作曲家先生を差し置き予期せぬグランプリを射止めてしまったのだ。受賞祝いの宴席もお開きになり、「合歓の郷」の芝生の暗がりに三浦光紀と小室は腰を下ろし、これで肩身の狭さはとれるかもと安堵の胸をなでおろした。というのも、三浦光紀が所属するキングレコードのわが売れないセクションは厄介者扱いだった。これで、少しは好転するかもというのが三浦と小室の胸のうちだったが、それがさらに世界歌謡祭でもグランプリ。1972年のベルウッド発足の後押しになったのではないかとひそかに思っている。あれから、50年なんだね。中野サンプラザ、どんな顔してみんな集まってくるのかな。六文銭もみんな年取っちゃってるし、いやお佳は別(笑)、おっと約一名子供も混ざってた、と言ったって丁度50歳?。みんな張り切っていい演奏しようね‼
小室等
鈴木慶一 × 武川雅寛
鈴木慶一氏よりコメント
ベルウッド・レコード50周年おめでとうございます。
50年前、レコード会社のスタジオで1枚のアルバムを作ることに参加出来たのは本当に忘れられない、嬉しくてしょうがないことでした。我々は、音楽好きのリスナーなのか、ミュージシャンなのか、まだ判然としてませんでしたが、スタジオにハモンド・オルガンがある、パーカッションもある、マリンバもある、自由に触って良かったのかどうかわかりませんが、とにかく弾いては録音し、巨大なスピーカーで聴いては録音し。働き続けたものです。
あがた森魚さんの「乙女の儚夢」はそうやって出来上がりました。そして50年経って、もうじき再建築される中野サンプラザでのライブに参加できるのもとても嬉しいことです。きっと50年前の音楽が再構築されると思います。
鈴木(ベルウッドか?)慶一 moonriders
小室等
小室等氏よりコメント
1971年、作曲家の作品コンクールであった合歓ポピュラーフェスティバルにおいて、ヤマハからのオファーで前年に引き続き参加して、上條恒彦さんと六文銭が歌った「出発の歌~失われた時を求めて~」が、村井邦彦、平尾昌晃、川口真、中村八大、鈴木邦彦、宮川泰、すぎやまこういち、加瀬邦彦、都倉俊一、東海林修、服部克久ほかの錚錚たる作曲家先生を差し置き予期せぬグランプリを射止めてしまったのだ。受賞祝いの宴席もお開きになり、「合歓の郷」の芝生の暗がりに三浦光紀と小室は腰を下ろし、これで肩身の狭さはとれるかもと安堵の胸をなでおろした。というのも、三浦光紀が所属するキングレコードのわが売れないセクションは厄介者扱いだった。これで、少しは好転するかもというのが三浦と小室の胸のうちだったが、それがさらに世界歌謡祭でもグランプリ。1972年のベルウッド発足の後押しになったのではないかとひそかに思っている。あれから、50年なんだね。中野サンプラザ、どんな顔してみんな集まってくるのかな。六文銭もみんな年取っちゃってるし、いやお佳は別(笑)、おっと約一名子供も混ざってた、と言ったって丁度50歳?。みんな張り切っていい演奏しようね‼
小室等
鈴木茂
鈴木茂氏よりコメント
ベルウッドレコードは、いつも僕たち世代のミュージシャン達を支えていてくれました。
今回のライブでは、久しぶりに昔の仲間達と会えるのが楽しみです。
鈴木茂
中川五郎
中川五郎氏よりコメント
ベルウッド・レコードが創立されて今年で50年、このレコード・レーベルとゆかりのあるミュージシャンたちが集まってコンサートが開かれることになった。コンサートではあるがどこか同窓会のようなおもむきがある。同窓会といえば、昔の仲間が集まって、「やあ、久しぶり」、「あの頃は楽しかったね」と、思い出話に花が咲くものだが、もうひとつ同窓会になくてはならない話題は、「今、どうしているの?」というものだ。一緒に昔を振り返って思い出に浸ることも素敵だが、まだまだ現役で歌い続けるぼくらの同窓会のようなコンサートは、過去に思いを馳せるのではなく、それぞれの現在を確かめ合い、まだまだ未来を切り開いていく、これから先をしっかりと見据えたそんな集まりになってほしいと強く思う。
中川五郎
スペシャル・ゲスト
佐野史郎
佐野史郎氏よりコメント
1973年、はっぴいえんどの3枚目のアルバムがキングレコードから出た時、何かが変わりつつあるのだなと感じました。
それまでインディーズレーベルの元祖ともいうべきURCレコードから発表していた、いわゆるフォークシンガーと呼ばれていた人たちが、次々とメジャーレーベルからレコードを出すようになったのです。
そのことに、少しばかり戸惑いを覚えましたが、それまでのマニアックな世界が世に認められたような気もして、嬉しくもありました。その後、キングレコード傘下のベルウッドからは、はっぴいえんどのベスト盤も発売されました。
中津川フォークジャンボリー、ライブ版の「かくれんぼ」も収録されていますが、エンディングの観客の声援「ええど、ええど〜」という掛け声が16歳の私であることは、はっぴいえんどファンの方ならご存知かもしれません。
音楽にどっぷり浸かっていた私でしたが、音楽の道ではなく、演劇を志したのは、60年代から70年代にかけてのサブカルチャームーブメントの中で、音楽も、文学も、アートも、演劇も、分け隔てずに浴びていたからだったのでしょう。
役者を続けていくならば総本山をと門を叩いた、唐十郎率いる状況劇場に入団したのも自然なことでした。
状況劇場〜紅テントの芝居に魅せられるなか、欠かせないのが劇中歌でした。
実況録音盤LP「唐十郎 四角いジャングルで唄う」を、どれほど聴いたことか。劇中歌の多くを小室等さんが手がけていました。
クレジットには、制作、キングベルウッドレコード株式会社、ディレクター、三浦光紀とありました。
劇団を辞めた後、タイムスリップというバンドを組みました。音源を聴いた遠藤賢司さんに誘われ、バックバンドを務めたことで、あがた森魚さんと出会い、それがきっかけとなって映画デビューしました。
バンドを始めたことで出会いも広がり、高田渡さんとはご近所づきあいで、バッタリ会っては、そのまま飲みにいくことも。
振り返れば、人生を導いて下さった恩師は、皆、ベルウッドゆかりの方々ばかり。
50周年、本当におめでとうございます。そして、心からの感謝を!!
・・・ところで、演奏曲目が、なかなか決められないでいます。
当日のお楽しみということで。
佐野史郎
なぎら健壱
なぎら健壱氏よりコメント
フォーク・ソングが台頭してきて、半世紀にならんとする。
その頃生まれた人間が50歳である。
我々も歳をとるはずだよな~。
だけど、精神は死んでおりません。
どっこい生きております! どっこい歌っております!
なぎら健壱
森山直太朗
森山直太朗氏よりコメント
激動の時代に刹那の思想で駆け抜けた錚々たる音楽人の皆さん、
またそれを支えて来られたスタッフやオーディエンスの皆さんと同じ場所で同じ空気を時を越えて味わえること、今から楽しみでなりません。
力の限り深呼吸してのぞみます。
森山直太朗
Bellwood 50th BAND
高田漣(G) / 坂田学(Drs) / 伊賀航(B) /
野村卓史(key) / 武嶋聡(Sax, Cla)
主催企画:
ベルウッドレコード/キングレコード
後援:ニッポン放送
制作:トーン
運営:DISK GARAGE
ベルウッド・レコード創設者
三浦光紀氏コメント
<ベルウッド・レコード創設者 三浦光紀氏コメント>
ベルウッド・レコード創設者 三浦光紀氏コメント
ベルウッドレコードは本年4月25日をもちまして創立50周年を迎える運びになりました。これも偏に、ベルウッドの作品を半世紀に亘って応援してくださったファンの皆様はじめ、ベルウッドから作品を出してくれたミュージシャン、レーベルを支えてくれたキングレコードそして、ベルウッドの真の主役である裏方(関係スタッフ)の方々の厚い支援と温かいレーベル愛の賜物だと、この場をお借りして、心より御礼申し上げます。
思えば、1962年のビートルズとボブ・ディランの登場によりロックの時代が到来。 70年代には、そのロックやフォークが世界のメインカルチャーにまでなり、商業的成功を果たしたアーティスト達が社会的メッセージを発信するなど、正にミュージシャンが社会をリードするまでになりました。 そんな状況の中 1972年、ベルウッドレーベルは産声を上げました。 私は「商業的価値より文化的価値」を標榜する米国のフォークウエイズレコードを念頭に、「レコード芸術の追求」と「アーティスト至上主義」を掲げ、ベルウッドのレーベルが『信頼の証』となるべく、「クオリティが高く、時が立つほど価値が上がるレコード作り」を目指し、レーベル運営をやらせていただきました。 あれから50年、世界的なアナログレコードの人気再燃の流れが顕著になったり、昨年末に発刊された『プカプカ/西岡恭蔵伝』(小学館)などにも「ポール・マッカートニーのレコード・コレクションにベルウッド・レーベルのレコードが数多く集められているのは有名な話らしい。生前のジョン・レノンもベルウッド・レーベルのレコードを大切に所有していたという。」と書かれるなどベルウッドレーベルは、今や世界からも注目されるようになってきました。
音楽の未来は「ストリーミング」から「ストリーミング+NFTメタバース」に向かってるなどと予想される今、私もベルウッドレーベル50周年を機に、ベルウッド作品の世界化と芸術化を推進できればと思ってます。
今後とも、何卒ご支援ご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。
六文銭
六文銭氏よりコメント